茶番狂言
今年、自分がとった行動には、
形式に重きを置くあまり、中味が希薄になり形骸化してしまう事への懸念を理由としたものが多くありました。
それは時に、形式を蔑ろにしている様に映る場合もあったかもしれません。
悪しき因習はともかく、大小問わず世間の潤滑油となる習慣や伝統を軽視するつもりはなく、それらの重要性を認識したり疑問をもったりすることで、根幹にある意味を直視してバランス良く境界線に立てればいいなと思います。
ある事柄について捉える際に、潤いがある表現と、現実的でカラッカラに乾燥した理屈とが主張しあってしまう不均衡や、曖昧模糊として線引きが出来ない内面は、いずれ共振、共鳴させられるようになりたいです。
――生まれた瞬間から死に向かう最高の茶番レースの中継地点より
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