移動に潤いを。ということで交通手段をバスにしてみた。
都内のバスに限ったことではないが、車内はやけに年齢層が高い。
なぜか。
バスの中で、あっどうも!みたいなシーンも多々ある。
サロンのようになっている。
なぜか。
前に座っているおじさんのコロンが臭くて、苦しくなってきた。
息を、止めてみた。
時計に目をやる。
思ったよりも記録が伸びる。
前に計ったのは小学生の時で、記録は1分40秒。
賢そうな少年の姿が脳裏に浮かぶ。
記録更新。
おじさんは降りない。
なぜか。
肺が悲鳴をあげる。
・・・2分10秒。
限界に達した。
大きく息を吸う。
その間に滞っていたすべての臭気を吸い込んだ。
絵本を卒業するころ、簡単な活字を読み始めるころ。
幼いときに読む本は、考え方以前に、趣向や感性に大きな影響を与える。
あたりまえだけど。
そんなころ、ある本を繰り返し読んだ。
そのなかの一話、まじないを書いた紙飛行機を窓から飛ばして異世界に紛れ込む方法が、淡々とした文体で綴られているもの。
なぜかミステリーとかファンタジーのにおいはしない。
そういう、あくまで日常の延長にある、少しだけ奇妙な要素が、たぶん自分を培ってる。ような気がする。
なにかが一周して素直になっていた幼い自分は、
ある雨の強い日に、行動に移した。
雨粒の間を揺曳して消えた紙飛行機に何を念ったのか。
屋根の上に干涸びた紙くずを見つけたのは何日か経ってからのこと。
映画館のスクリーンを前にして聴く音楽は、
普段の三割増くらいの感動値が得られる。
と思う。
また、眠る直前の半覚醒の状態は、五感こそ鈍くなるものの、
快感なんかは倍増する、それはよく知られていること。
ということは、だ。
あのとき、映画館で居眠りしながら聴いて、
不覚にもぐっと来てしまったあの曲は、実はたいしたことないんじゃないのかよ。
枕のむこう側から、微かな振動を感じることがある。
憶えているのは、5歳くらいのころから。
土を掘削して何かがこちらに向かっている、ような気がした。
眠らなければいけないのに眠れない自分の頭を、鋭く尖った何かが突き刺す、ような気がした。
それは、きまって眠れないとき。
大人になってからもたまに感じる。
冷蔵庫のコンプレッサーじゃない、エアコンのモーターじゃない、周波数20Hzよりもっと低い振動が眠れない夜を震わせるんです。
カフェというものがイマイチ好きじゃなかった。
まず、もとからコーヒーとかお茶とかあまり飲まない。
タバコの副流煙は好かない。
テーブル間が狭くて、ちょっと窮屈に感じる。
そんな理由。
すべての店がそうではないようだけど。
あと、ちょっと温度があわなかったりする。
冬とか、少し店内が暑いと感じてしまう。
でも、そうじゃないんだって。
「少し時間が空いたら、そういう場所を積極的に利用する友人」がいて、話を聞かせてくれた。
確かに狭かったりするけど、そういった時間はスイッチの切り替えになるそうだ。
そもそも目的が違うようだ。
その空間でゆっくり過ごす、というのではなく。
なんだかそういう捉え方ならできそうだ。
都内のカフェは本当にどこも混雑してる。
ただ、美術館や博物館の内で営業しているカフェはすいていて良いなと思った。
広さも適度に余裕があり、無機質なインテリアも好感が持てる。
注目する事柄が、ひとつ増えた。
これは道がまっすぐでいい。
最近、機動力が増したので少し範囲が広がりました。
秋は住宅地研究の旬なので、本腰を入れて散歩したいと思います。
関係ないけど、よく猫に出くわす。犬にあったことはほとんどなし。
少し空気に秋が混ざってきた。
夏、終わる。
ので、さびしい。
こういうさびしさを埋めてくれるのは、次の季節が来る、ということ。
だけ。
終わるのはさびしいけど、秋がくるならいいか、って思える。
こうやってまわっている。
日本で良かった。
積極的に暮らしているひとつの理由がそれ。
写真は松島。鳥の眼って怖い。