読むのが面倒シリーズ 4
公園のタイガーさまに自責の念を告悔いたします。
聴覚生理、心理学を研究されている方より。
子音と母音の間隔:Voice Over Timeの違い、それに伴うカテゴリー知覚を研究しており、Ba音とPa音の子音母音構造をシンセサイズにより生成したい。
ソフトウェアはMatLab、LabView、など、DSPはタッカーデービス社のものを使用。
→所望するシステムと用途は理解できる。
しかし運用中のシステムは計測・制御用途のものであって現状の音響のシステムとは一線を画す。
あえて自分の分野から捻出するとすれば、スピーチシンセサイズが挙げられる。
音声の多大なデータベースからDSPで韻律を合成するもの、また、フォルマントの周波数から音声波形を生成するもの、等。
音声合成のテクノロジーは民生レベルでも提供されているが、研究段階の用途としては不適合。
普通は、何言ってんのこのひと、っていうレベルです。
とはいえ、研鑽の欠如という理由と、機会の逸失という意味から猛省。
【バックナンバー】
Herbaceous Cutting
スズランのにおいがすると、昔の庭を思い出す。においって記憶に結びつく。
でもそれは曖昧模糊な記憶。
滲んでいてぼんやりしている。
耳はもっとはっきりと結びつく。
あの曲を聴いてたとき、バスに揺られてたな、とか。窓から雪を見ながら聴いたな、とか。
MURPHY MUR-DOCKで作った曲に、【Herbaceous Cutting】というタイトルがあった。
今日、草を見て風景から、ふっとそんな曲を思い出した。
おそらく二度と演奏する事はないこの曲を聴きながら。
青葉の頃 #1
担任は、若い女の先生だった。
春には生活ノートが生徒全員に配布された。
一日のサイクルと、一日の出来事を書く欄が週間7マスあり、これを週末に担任へ提出しなければいけない。
一日のサイクルの欄は、不思議な模様を描いて埋めた。
一日の出来事の欄には、反抗を象徴した【悪いピエロ】の生涯を7コマの絵と文字で、灰色に綴った。
心のどこかで叱られるのを期待していたのかもしれない。
週明けに帰ってきたノートの返信欄には、担任の赤ペンでこう書いてあった。
「小栗、大丈夫?」
そうして反抗期は終わった。
空を見上げれば、相変わらずまぶたにミジンコのようなものが透けて見えて、目で追うと視界の外へ逃げていく。
夜気
カフェオレさまに、心情を吐露します。
春先から続く喪失感、寂寥感も
昨夜は忘れられたように思います。
長く追い続けていた蜃気楼に触れたような
そんな感覚が右手のひらに残っています。
催涙作用と、それを乾かす強い力が
同時に打ち寄せて胸を拉ぎました。
夜中に
あまり得意ではないギターの爪弾きを試して
それから少し歌ってみて
いつしか微睡んでいました。
つかの間見た夢に何年かぶりに出てきたのは
まだ生彩を放っていたころの椿堂で
一番見たかった
絵を描いている情景でした。
目を覚まして
身体の中にまだ地名の書かれていない白地図のような
そんな部分を見つけたように感じます。